シンプル

昨日の話。退院後初めての診察にお伺いした。1週間振りにお会いした先生から「手術したのって1か月くらい前でしたっけ?」と問われたので否定しておいた。手術で切除した2つの腫瘍は悪性だったとのこと。しかし浸潤は浅かったため転移の可能性は少ないだろうと。次回の診察は1か月後でいいでしょうとのことで、また来月伺うことになった。自分もそのくらいのスパンで良いと思う。数か月後にPETか何か受けられれば良いかと。

癌を経験して分かったことと変わったことがある。
分かったことは、自分にとって大切なものとは何なのかということ。妻と何を食べようか、妻とどこへ行こうかということしか頭に浮かばなくなった。大切なものは近くにある。発見だったけれど、このことは以前の日記にも書いたことであり、繰り返してもアレなので控えることにする。
そして変わったことはいくつかあるが、ひとつは「欲」というものが少なくなったように思えること。特に食欲。舌に痛みがあるため食べるものを選ぶ必要があるし食事に時間もかかるからということもあるだろうけれど、たとえばテレビに映るおいしそうなものだとか、スーパーで売っているお惣菜だとか、「今の自分は食べることは出来ないけれどとても美味しそうなもの」を目にしても羨ましさは感じない。「それはそれ」と思える。何が食べたいかと問われれば、カレー、餃子、エビフライ、牛丼だろうか。チャーハンもいいかな。このように嗜好は以前から変わらないものの、食べられないことで気持ちがマイナスに動くということは無い。食事量も極端に減っているけれど、特に問題無く過ごしている。正しく栄養が摂れれば良いかなと。
それと、所謂「予言」の類には興味が無くなった。大地震がいつ起きるかもしれないだとかどうでもいい。備えはまた別の話だが、まだ起きてもいない未来のことに対して必要以上に意識を向けるのは勿体ないと思える。意識が勿体ない。もっと違うことにエネルギーを使った方が良いと思える。
と、ここまで書いて気づいたが、キーワードは「最低限」なのかもしれないなと。今までは必要以上のものを得ていたのだと思う。今は最低限のものだけを欲しているのだろう。そう思うと、自分の周りには情報も食べ物も多すぎたのかもしれない。それを「文化」と言ってしまえばそれまでだし否定することでも無いけれど、捨てることで得られるものって少なく無いように思える。このままシンプルに生きて行くのもいいかもしれない。

僕の死生観

僕の作品づくりのテーマにも取り上げているけれど、人間の魂とは輪廻を繰り返すものだと思っている。輪廻を繰り返すなかで魂は磨かれて(磨かれるかどうかはその人の生き方次第だけれど)、上へ上へとスパイラル状にのぼっていく。この世における人間とは魂+肉体であり、あの世では肉体を脱ぎ捨てて魂だけになる。この世における「死」とは肉体の喪失であり、魂の死では無い。人間がなぜこの世に生まれてくるのかというと、肉体を持ったうえでの体験を繰り返すことにより魂を磨くため。楽しいこと、辛いこと、悲しいこと、嬉しいことを、それこそ身をもって体験するため。肉体をまとっているぶん感覚は鈍るけれど、そのぶん肉体をもっていなければ体験できないことは少なく無い。顔があるから、口があるから、手があるから、足があるから、生殖器があるから人間は様々な体験ができるし、心もまた養われる。

病院の待合室にいると、先生から何を言われたのかはわからないけれど、取り乱している人を見かけることがある。一般的な反応だろう。僕は死とは終わりでは無く始まりでもあると思っている。それを待ち望んでいるわけでは無いけれど、怖いことでは無いと思っている。